フィリピンの海が好きだ

社会人一年目の23歳女子。学生時代、大学を休学してフィリピンミンダナオ島の孤児院でボランティアスタッフを経験。帰国後、子ども達の事が忘れられず日本の児童養護施設に就職し、現在子ども達と賑やかに生活中。いつか世界一周がしたいと目論んでいる。

貧しくて医療を受けられずに亡くなった私の友達

皆さんは、大切な友達が突然いなくなってしまった経験はありますかー

 

2016年9月、私の大切なフィリピン人の友達“ジャニー”が、急性白血病のため亡くなりました。当時彼は22歳、私は20歳でした。

 

フィリピン・ミンダナオ島にある孤児院で長期間のボランティアスタッフ生活をスタートさせた2016年5月。異国の地で不安だった私に、唯一の同世代だったアルバイトのジャニーが優しくなんでも教えてくれ、本当に心の支えだったことを思い出します。

 

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子ども達のお世話、保育園への送り迎え、食事の準備、ビサイヤ語の練習…本当に毎日一緒に頑張りました。

 

そんな彼が、突然白血病に倒れ、22歳という若さでこの世を去ったのは、一緒に働き始めてから5か月目のことでした。

 

10人兄弟の家庭で育ったジャニー。とても貧しい生活だったため、幼い頃から家族のために働きました。

 

▼赤いTシャツがジャニー。みんなで施設内のマンゴーを収穫しました。

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孤児院の奨学金生になり、勉強を頑張って大学へも進学し、ちゃんと卒業もしました。

貧困地域において、大学を卒業するということがどれだけ大変で凄いことか。

 

専門分野だった農業の知識を活かし、孤児院内にオクラやツルムラサキなどの野菜、また花などを植えてくれ、子ども達に上手な植え方も教えてくれました。

 

彼の夢は、亡くなる1か月後に控えていた農業の試験に合格し、日本で働くことでした。日本で仕事を見つけることができれば、家族の生活を助けることができるからです。

 

「ミサト、日本で働く時のために、日本語教えて!僕は代わりにビサイヤ語を教えるよ!」

 

お互いに「日本語ノート」と「ビサイヤ語ノート」を作って、子ども達が学校に行っている間にキッチンで教え合ったのが懐かしいです。

 

▼ジャニーの奨学金、実は日本のロックバンド「宇宙戦隊NOIZ」が支援してくれているNOIZ奨学金だったのです。ミュージックビデオ「PRECOG」にも出演させてもらい、いつもその歌を歌っていました。

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亡くなる数日前、孤児院のアルバイトを体調不良を訴えて休んでいるジャニーから、私に一通のメールが届きました。

 

「ミサト、申し訳ないんだけど、お金を貸してほしい。お金が無くて血を買うことができないんだ」

 

私はその時、他のフィリピン人にお金を貸していた時期で、しかもかなりの高額がなかなか返済されないという状態だったので、お金の話にはとても敏感で、もう貸したくないと嫌な気持ちになってしまったのです。

 

しかも、ただの風邪か軽い体調不良とばかり思いこんでいて、そこまで重篤だとは知らなかったので、返信をしませんでした。

 

 

数日後、ジャニーは旅立ってしまいました。

 

 

 

▼子ども達と一緒に川で遊ぶジャニーと筆者

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ジャニーの訃報を孤児院のスタッフから知らされたとき、頭が真っ白になって、涙も出ないくらい混乱しました。というか、嘘だと思った。

 

自分の部屋に戻って、混乱している頭を整理して、「血を買うお金がない」という数日前のメールの意味を、やっとその時、理解しました。

 

私、返信しなかった。あの時、イライラさえしてしまった。

急性白血病でジャニーは苦しんでたというのに。

 

その瞬間、「私がお金を貸していれば…」という後悔と罪悪感と悲しみが一気に訪れて、声をあげて号泣しました。

 

スタッフにそのことを話すと、「ミサトがもしお金を貸していてもいなくても、これがジャニーの運命だったんだよ。神様が決めたこと。だから、自分を責めないで。」と言ってくれました。それでも、今も後悔してます。

 

ジャニーの実家へ行き、家族と初めて会いました。庭には本当に沢山の野菜や花が綺麗に育てられており、ジャニーがやってたんだなとすぐに分かりました。ジャニーのお姉さんが出てきて、「あなたが、ミサトね。ジャニーはよく帰ってきてからあなたに教わった日本語を披露してくれたのよ。本当に、ここ最近のジャニーは楽しそうだった。ありがとう。」といいました。

 

ジャニー、楽しかったみたいで良かった。

 

次の日、お葬式のため孤児院の子ども達と教会へ行き、安らかに眠る顔をみんなで見守って、「ジャニーお兄ちゃん」とみんなでワンワン泣きました。ジャニーよ、子ども達からどんなに愛されていたんだ!ってくらい皆泣きました。

 

お墓へ行き、みんなでお花を投げ入れて、最後のお別れをしました。帰ってきてからも、ジャニーの思い出話は尽きませんでした。

 

「僕はダンスを教えてもらったんだ!」

「私なんてお花を一緒に植えたのよ!」

 

ジャニーと○○をしたよ自慢大会は、寝る時間まで続きましたよ、ジャニー。

 

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同年代の友達が貧しさから医療を受けられずに亡くなったという、日本では考えられない現実。フィリピンの貧困問題は勉強して理解していたつもりだったけど、ジャニーのことがあって、「本で読んだ世界のどこかで起こっているらしい話」だったのが、他人事ではなくなりました。

 

こうしている今も、こんなことが世界各地で起こっているのかと思うと、悲しく、やるせなく、そして何もできない自分が情けないです。

 

両親が一生懸命働いて稼いでくれたお金で大学へ行ったのに、単位を落とし、授業をさぼり、アルバイトに励む。こんな馬鹿な私じゃなく、なぜジャニーが。一か月後の試験で人生が変わるかもしれないという希望に満ち溢れていたジャニーが、こんな目に合わなければならなかったのか。

 

ほんとに悔しいです。

 

 

日本のみなさん、私たちが学校へ行けたり、仕事に就けたり、病院へすぐに行けることは、いろんなところでこれまで散々聞いてきたかもしれないですが、本当に当たり前ではありません。

 

世界には、どんなに緊急を要した病でも、治療費を支払えないからと門前払いされ、病院の廊下の椅子で息を引き取る若者や子どもが沢山います。

 

それは、言葉も顔も文化も違う異国の人だけど、家族がいて、友人がいて、恋人がいて、フェイスブックツイッターが大好きな、私たちとなんら変わりのない若者たちなのです。

 

このことがあってから、いままで一切してこなかった募金や寄付をするようになりました。家族や友人を大切にしようと思うようになりました。この事実をもっと多くの人に知って、支援してほしいと思い、ミスユニバースに挑戦し、大勢の前でジャニーについて話しました。毎日を一生懸命生きようと努力するようになりました。

 

もし、ジャニーが生きていたら、大好きな家族のために、今頃夢だった日本で働いていたのかなぁ。

 

そして、私は何をするべきか。

 

ジャニーの年齢を追い越した今、時々この出来事を思い出しては、自分の使命について思い悩むのです。


私がこんなにもビサイヤ語話せるようになったの見たら、絶対ビックリするやろうなージャニー(笑)話したいなー。

 

 ▼ジャニーが亡くなった翌週の夕方、空にとても綺麗な夕日が出たとき、6歳の男の子が空に向かって「あ!ジャニーお兄ちゃんだ!僕たちを見守っててねー!」と叫び、手を振りました。泣いた。

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